小川アメニティ 藤塚トンネルに入る手前右側、山裾に沿って石畳の遊歩道がある。中ほどには散歩の途中一休みできる東屋があり、いかにも風情を感じる。歩道の脇を小川が流れ、夏の夜空にホタルが舞うホタルの里といわれている。この付近は仏向町最後の田んぼとして残っていたが、JR貨物線トンネル工事の残土で埋め立てられ畑になった。
 森の谷間で視界のなかに人家はなく、畑を耕す農夫の姿ははるかふるさとの情景であった。平成17年ころから開発が進み、森の風景は変貌しつつある。
小川アメニティ
 西谷浄水場 川島町にまたがる小高い丘、通称水道山にあり明治20年英国人技師HSパーマーの設計による日本最初の近代水道発祥の地である。道志川および相模湖を水源として津久井、愛甲、相模川を経て上川井、今井ポンプ場から送水され、横浜市内の広い範囲に給水している。町のメイン道路、駅前通りの水道道はこの給水路である

日本カーリット
 市沢町に接する約
45000坪の丘陵地に大正812月、わが国2番目の民間火薬工場が設立された。その後、浅野セメントと合併、独立などを経て発展し、現在は約8万坪の敷地を残して群馬県に移転した。満州事変、太平洋戦争の弾薬また炭鉱や土木工事用に火薬の需要が急増した。原料が国内調達できる利点からカーリット火薬を生産、昭和の末期までドンドンという爆発音が仏向町全体に響いていた。危険と機密の関係から付近一帯は人家の存在が許されず、そのため緑豊かな田舎の風情を残していた。

サンシティ横浜 平成17年10月、日本カーリット跡地の一角に介護付有料老人ホーム「サンシティ横浜」が誕生した。一般居室480戸(ウエスト館248戸、イースト館232戸、1LDK〜2LDK)介護専用居室120室、入居資格は満65歳以上で入居時自立の方、介護型:満60歳以上で入居時要介護、要支援認定を受けている方。

帷子川 あごひげアザラシ「タマちゃん」の登場で全国に帷子川の名を広め「帷子」の漢字にも関心を集めた。イヌ語のカタヒラに帷子の漢字が付いた。古くは天王町付近が帷子村で、今は帷子橋が残っている。江戸時代末期、横浜港開港のころは橋の近くまで入り江であった。当時の橋は木造アーチ型現在の倍以上はあったと思われる見事なものだった。江戸からの旅、帷子橋を渡るとそこが保土ヶ谷宿である。
 帷子川は水の恵みである半面、暴れ川の異名もあった。仏向は二つの鎌倉街道の間にあって往来も多く、ひとたび大雨が降るとたちまち氾濫し里人や旅人に多数の犠牲者が出た。
川の氾濫は古くから最近地下分水道ができるまで続いたが、治水工事のために作られた機材運搬用のトロッコが相模鉄道に発展した。昭和30年ころから地場産業として川添えに捺染工業が栄え特にスカーフは大流行した。

 相模鉄道 仏向町民の足である相模鉄道の歴史は大正15年、星川ー厚木間を走る蒸気機関車の神中(じんちゅう)鉄道が誕生、そして昭和8年、横浜駅へ乗り入れるようになった。昭和18年、茅ヶ崎ー橋本間を走る相模鉄道と合併したが、翌年には相模線が国鉄に吸収されたため、もとの神中鉄道は相模厚木線となり、その後相模鉄道となった。開通当初は貨物輸送が主だったが現在は通勤や買い物客の足となっている。